希望の光バプテスト教会

聖書が教える「ユダヤ的視点」View of the Jewish Bible.

「聖書は分かりにくい」と思うあなたへ

イスラエル民族が結んだ契約

正しい解釈が大切です

 聖書を読んでいて、こんな疑問を持ったことはありませんか?例えば左の絵はモーセ率いるイスラエルを追ってきたエジプト兵が紅海に飲まれる場面ですが、旧約聖書で神様が人間と結ばれた数々の約束や命令は、今日の私たちに対して有効なのか。 今も守られている命令とそうでない命令が混在するように見えるのはどうしてなのか。その違いは何なのか・・・

 実は聖書には読み方があるのです。過去の記事をそのまま自分に引き寄せて読もうとすると、他の箇所との矛盾が生じて必要以上に難解になってしまう。 そして「難解なのだからどう理解してもいい」と開き直ってしまう。このような読み方では聖書が示す真理の全貌を正しく理解することはできません。「聖書には力がある」と よく言われますが、それは正しい方法で読み、解釈されて初めて発揮する「力」なのです。

このコンテンツのキーワード #聖書解釈学 #ユダヤ(ヘブル)的視点 #契約 #選びの民 #イスラエル

神の賜物と召し(契約に基づく選民性と祝福)は変わらない ~ローマ人への手紙11:29~

*全人類の代表として使命を受けたイスラエル
 すべての人類は始めの人アダム以来、神様の前にあって有罪(罪人)であると聖書は教えます。神様に対する立場だけでなく、 それを表すように言動や物事の考え方もまた、神様の正しさからは程遠いのです。今日に至るまですべての人が生まれながらに罪人なのです。 そのような人類は神様は救済のプランを用意してくれました。その内容は、神の言葉である聖書から読み取ることができます。

 アダムに始まり人類は、神様のチャレンジにことごとく失敗しました(ノア洪水、バベルの塔)。そののち人類救済のための起点として、神様はひとりの男性を選び出しました。 彼の名はアブラム(アブラハム)で、神様は彼と契約を結びました。それがアブラハム契約です(旧約聖書 創世記12章ほか)。 その内容は、物質も霊的にも「祝福」し、既にカナン人が先住していた「土地」を与え、老夫妻の胎を開き、海辺の砂のごとく「子孫」を満たすというものでした。いずれも、 すべてを造られ、すべてを所有しつかさどり、すべての命の源である神様でなければ成し得ない約束でした。

この契約は彼の子達(イサク・ヤコブ)に継承され、やがて国家として召しだされたイスラエル(出エジ19章)が、契約の当事者となります。(彼らはヘブル人・イスラエル人・ユダヤ人の名称で扱われる)。 彼らは、すべての民族の中から神様によって選ばれた存在です。旧約聖書において神から直接指導や導きをいただき、多くの奇蹟をも目の当たりにしました。この当時、世界の最先端であった大国エジプト から出てゆくことなど、超自然的な介入がなければ到底不可能です。

*祝福の成就~神様は信頼できるお方
 そして上記の契約以外にも、モーセ契約、土地の契約、ダビデ契約を結びました。なぜ彼らが選ばれたのでしょう。それは決して彼らが優秀だったからではありません。「ある目的に用いる器」として神様 から一方的に選ばれました。つまり彼らの内から、旧約聖書で預言された全人類の救い主(イエス・キリスト)を生み出し、さらに彼ら自身がやがて異邦人※たちに「まことの神」と「救い主」を伝える祭司 の民となることを期待されて選ばれたのです。選びと責任は表裏一体なのです。

やがて時至り、ユダヤ人の処女マリアを通して救い主(メシア)キリストが生まれました。神の言葉は成就しました。しかし、なんと彼らはそれを拒否してしまうのです。メシアはいつ生まれる?どこに? 誰なのか?ずっと待ち望んでいたのに、彼らのうちの宗教指導者たちはイエス・キリストをメシアとは認めませんでした(今日もそうである)。神の言葉は既に啓示されていました。しかし霊的に盲目ならば、 その啓示が意図することは理解できません。こうして、彼らは指導者たちに先導されて、約束された救い主を十字架に付けてしまいました。

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