希望の光バプテスト教会

聖書が教える「神様の存在」God is not dead.

「神様はいる?」一歩踏み出すあなたへ

神様はいる?

一緒に証拠を見てみよう

 私たちは例外なく何らかのフィルター(色めがね)を通して世界を認識しています。神様が存在するかどうか、 信仰を持って世界を見渡すならば、世界は神様が存在している証拠に満ちています。

 しかし残念ながらこれらの証拠をもって「神なんかいない」という世界観で生きる人々を納得させることは難しいのです。 神様を認識できるかどうかは、知的問題であり、霊的問題なのです。 多くの人々は「証明できないことは存在しないことと一緒」と考えるかもしれませんが、冷静に考えると「神様がいない」ことの 証明になっていません。存在を証明できないことと、存在しないことを証明することとは違うのです。

 ここではクリスチャンたちがどのようなことに対して神様の存在を確信するか、共感していただけることを願いつつ ご紹介します。

このコンテンツのキーワード #無神論 #啓示 #弁証論 

クリスチャンの「神の存在証明」

① 実在論的証明
人類は普遍的に神を見出そうとし、自分が責任を負うべき「存在」を求めています。ア・プリオリ(先験的)議論ともいいます。

② 宇宙論的証明
宇宙には因果法則が働いています。神という「原因」がないならば、宇宙という結果はあり得ません。宇宙は極めて複雑であり、その起源を偶然の一言で説明できるのでしょうか。

③ 目的論的証明
すべての形あるものの背後に創造者の存在を見出すことができます。例えば、宇宙は複雑でありながら絶え間なく秩序正しく運行しています。 この事実は、宇宙を設計した神がいることと、その神が無限の知恵と力を持っておられることを証明しています。

④ 人間論的証明
人間の存在は、神の存在なくしてあり得ません。「知(知恵)」「情(感情)」「意(意思)」は人間特有の神のかたちです。つまり人間を創造した神は、同様の性質を保持し、 また人間よりも偉大な存在であることを証明しています。

神様はご自身を示しておられる -二種類の啓示-

一般啓示
 聖書には以下のようにあります。「なぜなら、神について知りうることは、彼らに明らかであるからそれは神が明らかにされたのです。」「神の目に見えない本性、神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと 認められるのであって、彼ら(神様を受け入れない人々)に弁解の余地はないのです」(ローマ人への手紙1章19-20節)

 神様はすべての人々が向き合うことができる自然や歴史、良心を通して、広くご自身を示しておられます。このような啓示を「一般啓示」と呼びます。 聖書のような具体的なメッセージではありませんが、これらを通して「唯一の真理は存在する」ことを見出すことができます。例えば「自然」はすべてが神の作品であり、たとえば大海原や果てしない星空、可憐な花々などの美しさ、また生き物たちの驚くべき能力や、宇宙や自然の規則性、そして多くの命を育み、 生きてゆくために不可欠な太陽や水、酸素といった恵みの数々は、この世界を創られた唯一の神様のわざによるのです。

 同様に神様は「歴史」を背後で導かれるお方であり、イスラエル人たちを選び、その中から全人類にとっての救い主であるイエス・キリストが地上に誕生(受肉)された出来事は、永遠・無限の存在である神が、有限の世界に 介入してくださった最大の出来事です。聖書的価値観で歴史(History)を解釈するときに、それは始めから終わりまで神様が導く歴史(His story)であることが分かります。
 また「良心」は、人間特有の性質です。聖書には初めの人類(アダム)が造られたときに、神の息吹が吹き込まれたとあります。人は「神のかたち」であって、他の動物とは区別されるのです。 残念ながらその後、アダムは神から離れて堕落し、今日に至ります。私たちは自らの心の内を顧みる時、聖人君子ではいられないことを知っています。 今日、私たちの良心は罪の影響を受けて完全なかたちで機能しなくなってしまいましたが、人類はもともと良きものを求める性質が与えられていたのです。

 以上のような一般啓示を通して、世界を創られた真の神様を求める思いを本当に持つならば、いかなるへき地にいようと、神様はその者の願いを受け取り、必ず神のことばを携えた使者を遣わすことでしょう。 ある人々は「聖書がない時代や地域に住む人々に救いがないのは不公平だ」というかもしれません。しかし、神様の啓示はすべての時代を通して速やかに、落ち度なく行われてきました。 むしろ問題は、それらの啓示を通して神様に向き合わない人々の側にあるのです。

特別啓示
 具体的な神の意思を示したものであり、神様ご自身のことばや、神の言葉を受けて語る預言者たちの預言、そして既に完成した神のことばである聖書(旧約39巻・新約27巻/計66巻) を指します。「神はむかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました。」「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました・・・」(へブル人への手紙1章1-2節a)

 初めの人(アダム)の失敗以来、神のことばは段階を経てアブラハム・イサク・ヤコブを土台とするイスラエル人たちに託されました。聖書は一連の歴史書です。天地創造と人類の堕落の出来事から、すべての問題が解決して 神様が与える永遠の時代まで、人類に示すべき具体的な啓示はすべて示されました。人類の側から見れば、それは人がいかに神に逆らい、離れてきたかを表す歴史であり、反対に神の側から見れば、 そのような人類に対して神様はいかに近付こうと努めてくださったかを示すものです。またその歴史は、救い主イエスの受肉を含めて神の約束がいかに成就してきたかという事実を証明します。 また神の栄光が再び完全に取り戻されることを保証しています。アダムの堕落による罪と呪いが全世界に作用して失われた神の栄光が、もう千年王国(メシア的王国)を経て、新天新地や新しいエルサレムに至る 中で、再度完全に奪還されるのです。

自己を啓示される神
 神の属性に関する知識は、神からの啓示がなければ知り得ないものです。神がご自身を現わそうとしないにもかかわらず、人間の哲学的探究で神を発見できたらならば、それはもはや神ではありません。 つまり、「人間は自らの弱さを補うために神を作った」というある種の信仰(科学的仮説)とは全く相容れません。

客観的・歴史的証拠として‐2つの出来事に目を留めよう

イエスの復活
 

使徒たちの命がけの宣教

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