希望の光バプテスト教会

当教会についてAbout us.

信仰上の立場と聖書解釈学

私どもは、2015年5月より多摩市(当時は多摩センター駅周辺を拠点に)で活動を開始しました。 根本主義(福音派)の聖書理解に立つ、プロテスタントの単立キリスト教会です。

根本主義(Fandamental)

私どもは、根本主義の立場に立つ正統なキリスト教会です。根本主義とは、聖書全体(新旧約・全66巻)は完全な神のことばであり、神のみ旨を欠けることなく、まったく誤りなく示された啓示であると理解します。

根本主義が確信する主な内容(the General Assembly of the Prebyterian Church of the USA in 1910):①キリストの奇跡 ②キリストの処女降誕 ③キリストの身代わりの贖罪 ④キリストの肉体的復活 ⑤聖書の霊感性(無誤・無謬であるように神の息吹が吹き込まれて守られた)

福音派(Evangelical)

福音派の特徴は以下の3点です:①まず「聖書」を強調します。聖書について「信者の生活と信仰に関する最終的権威、唯一の権威である」と信頼します。キリストがそれを認証されたからです。 「教会」の聖書にない独自の教えや習慣、伝統が聖書よりも高い位置に置かれることはありません。「聖書のみ」という宗教改革の思想と一致します。

②三位一体の神の存在とキリストが神であり人であることを確信します。三位一体の神の第二位格である方、つまり、「神の子」と呼ばれる方が、人類を救うために人間の姿を取って来てくださいました。

③霊的生まれ変わり(新生)を強調します。教会が人を救ったり、救いを認定するのではない。また個人の善行が人を救うのではない。 聖書によれば、イエス・キリストを救い主として信じる(具体的には福音への信仰)によってのみ救われ、救われた際に必ず「霊的生まれ変わり」(新生)を体験している。

ディスペンセーショナリズムに基づく組織神学

ディスペンセーショナリズム(ディスペンセーション神学)とは、聖書全体を体系的、組織的に解釈するための神学的枠組みのことです。 「ディスペンセーション」という概念(神の摂理、神が定めたとされる規則や制度)が土台となっています。
*注① ディスペンセーショナリズムに対抗する枠組みが、契約神学です。
*注② より後発のプログレッシブディペンセーションやハイパーティスペンセーションは、字義通りの解釈という点で正しい解釈とは言えません。

◆定義と特徴:字義通りの解釈を大切に
ディスペンセーションを定義すると、「神の計画が進展してゆく過程において出現する、明確に区分可能な神の経綸」といえます。 その特徴についてチャールズ・ライリー博士によると①聖書の字義通りの解釈(「文字通り」とは異なる) ②イスラエルと教会の一貫した区別 ③聖書が書かれた目的は「神の栄光」である、という認識の以上の3点となります。特に①はディスペンセーション神学の肝です。私どもはこれらの聖書解釈の土台に基づき聖書全体を体系的に解き明かしに努めます。

◆終末論とイスラエルについて
ディスペンセーションに立つ結果として、終末論については、前千年王国説(患難期前携挙説)に立ちます。今現在の恵みの時代(教会時代)が教会携挙(キリストの空中再臨)によって終わり、7年の大患難時代の最後にキリストが再臨し、 千年王国(メシア的王国)を経て新天新地(新しいエルサレム)に至ると理解します。字義通りの聖書解釈に立つならばブレようがありません。 また、聖書の神は契約を結ぶ神であり、「イスラエル」と結んだアブラハム契約は無条件契約(片務契約)であり、彼らの不従順によって打ち切られることはありません。 異邦人(イスラエル以外の全民族)教会に対して、聖書は彼らの救いと祝福を祈り、伝道してゆく必要を示しています。

◆字義通りの解釈に努める結果:聖書をユダヤ的(ヘブル的点)で読む
ユダヤ的といっても何か特別な読み方があるのではなく、解釈学の原則にしたがい、最も単純に、字義通りに聖書を読むとユダヤ的に読むことになります。 聖書そのものが本来ユダヤ的なものだからです。ユダヤ的視点で正しく理解し、正しく応答するときに、信者個々人の歩みは「神の栄光」を表す器としてなお用いられてゆくのです。

聖書の記者と読者(今日の私たち)の間には少なくとも以下の隔たりがあります。①時間的な隔たり ②文化的な隔たり ③地理的な隔たり、以上の3点です。 このような隔たりを意識しておかないと、現代の私たちの視点を聖書に押し付けることになります。それを克服するためには、書かれた当時の著者の視点(ユダヤ的視点)で 読むことが不可欠となります。

単立バプテスト

バプテストとは、教会史では15世紀頃からヨーロッパで認識されている立場です。ローマ・カトリックをはじめ、当時流布していた誤った洗礼(バプテスマ)理解の修正を重んじました。 今日でも米国のキリスト教界の主な立場の一つです。
*プロテスタント陣営の各立場は、元々ローマ・カトリックも下にあり、誤った教理に抗議(プロテスト)した者という意味を持ちます。バプテストの起こりをどう定義するかでここに加えるかどうか見解が分かれますが、 少なくとも「カトリックではない」という広義の意味でプロテスタントの一つと説明されます。

◆洗礼(バプテスマ)について
聖書が教える唯一の方法は浸礼(全身を水に沈める)です。その原語(コイネー・ギリシャ語)の「バプティゾー」は「全身を沈める」という意味であり、そこに込められた神学的真理は「キリストとの一体化」です。

◆単立であること
バプテストの中にも教会同士で教団を組んで運営する方法が見受けられます。つまり母体や本部に該当する部署があって、その下に所属教会が存在し(上下関係が生まれる)、会計面や人事面についても主にそこからの指示で運用します。 群れの規模が大きくなれば、できる奉仕も大きくなるでしょう。 しかし本来あるべき教会像として、聖書から以下の点を挙げることができます。聖書の権威を大切にする(B)、個々単立の教会運営(A)、万人が祭司(P)、バプテスマと聖餐式の二つの礼典(T)、 聖書の解釈の自由(I)、救われた者たちによる教会(S)、牧師と執事の二つの聖職(T)、国家からの自立(S)・・・以上の教会像に沿って、私どもの関連教会ではそれぞれが規模や歴史にかかわらず平等に扱い、 会計や人事などについて個々独立した単立の運営を心がけております。

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